会報58号 ♪だんゆうかい♪ 2012/6/20
―― 赤木・山口・吉田でつくられたトライアングル Part2 ―
団友会の皆さま、こんにちは!梅雨の季節いかかおすごしでしょうか。
日頃は、団友会活動にご協力いただきまして本当にありがとうございます。
春4月に引き続き、6月13日(水)赤木PJ第2回目が開催されました。
第1回目は、生誕から始まり、仕事をしながら編曲もこなす、そんな赤木さんを知ることができました。そして、今回は団友会の渋谷さんのご努力により完成した「赤木一晶作品リスト」の報告と今後のリストの保管方法に加えて、コンサートの概要などを話し合われました。
☆「赤木一晶作品リスト」完成!!
ジャンル、合唱の構成はもちろんのこと制作年、年が不明のもは推測年まで記されています。楽譜の保存については直筆原紙または複写なのか、どこから依頼を受けて編曲したか、初演されたコンサートはいつなのかなど、なんと13項目で構成されています。以前、日産の合唱団の依頼で編曲した曲も加えて総曲数は 232曲、赤木さんの音楽活動の全足跡が見えてきました。
作品リストから見えてきた・・・!
☆トライアングルミステリーとヨココンヒストリー
〜ヨココンとのかたい「約束」〜
赤木さんのヨココンデビューは1963年。ヨココンは4回マロン“ラテンを歌う”(団創立15周年)からトライアングル関係は始まったようですね!
そして、その年「約束」が編曲されています。(この「約束」という曲は、雪村いずみが歌った6分半にもおよぶ曲。小さな子供が、病気の母親との別れに泣かないという約束はしたけれど泣いてしまう。しかし、翌年父親が戦争で死んだ時は泣かないで、約束を守ったという反戦歌でもある曲。)
しかし、演奏されたのは5年後?の1968年の10回マロン(団創立20周年)続いて14回マロン、1978年の20回マロン(団創立30周年)とどれも、ヨココンの大切な節目にこの「約束」は演奏されています。
団創立30周年の1978年、赤木さんはお亡くなりになっています。
「約束」1曲を取り上げてみてもヨココンと不思議なつながりがあるのですね。
〜曲の完成がコンサート間近・・・?!〜
コンサートの間近になって、曲が完成していることに気がつきます。
そのうち1曲か2曲は、できたてホヤホヤだったり?!・・・
ということは、その時のヨココンの団員は、練習時間も限りある中で仕上げ、暗譜もしたのですね、す、すごいです!!
以前、団友会の椙田さんが、赤木さんのご自宅まで楽譜を取りに行かれたとお聞きしたことがあります。曲が出来てくるまで、どんな気持ちで待っていたのでしょうね。ワクワクドキドキ・・・・ですね!
〜最後まで現役〜
編曲は1963年(30歳)から始まり、年々確実に増えています。
くわえて、日産からの編曲依頼も徐々に増えています。その年に流行ったミュージカルなど、世相も垣間見ることができます。
しかし、編曲ラッシュは1973年頃までで、そのあとは一年間に1つの楽曲をゆっくりとしたペースで行なっています。
そんな時生まれたのは・・・
1975年(42歳)に「バロック風日本の四季」1977年(44歳)に「父と娘」です。しかし、なんといっても1970年(37歳)の作曲・編曲作品コーラスファンタジー「きよしこの夜」。脚本は山口泰司氏がてがけています。
どの曲も、今でもヨココンの大切な曲となっています。
1978年、3月から5月にかけて日産からの依頼の「ディズニー曲集」を編曲されて、6月にお亡くなりになっています。
最後まで、お仕事も音楽も現役でした。
編集後記
全6ページで作られている「赤木一晶作品リスト」は、来年のコンサートの時にプログラムと一緒にぜひ!!ご覧になってくださいね。
さあ!出会いが生んだ素晴らしい“赤木作品”をどのようにしたら聴衆の心に響かせることができるでしょうか・・・
ぜひ、ご一緒に歌ってみませんか♪
次回につづく